コラム

キリンの海外事例から読み解く!M&Aポイント解説

皆己 秀樹

プロフィール

皆己秀樹

日本M&Aセンター M&Aサポート倶楽部責任者 

海外M&A
更新日:

⽬次

[表示]


国内外のM&Aに精通するDr.(ドクター)Mが、身近なM&A事例を用いて、独自の視点でポイントをわかりやすく解説する新企画「Dr.MのM&Aポイント解説」。
第1回で取り上げる企業は「キリンホールディングス」。国内ビール業界の中でも海外展開を積極的に進めてきたキリンで、いま何が起きているのでしょうか。

*概要*
2011年の民政化をうけ、長年にわたる経済制裁が緩和されたミャンマー。「アジア最後のフロンティア」として注目を集めていたこの地に2015年、キリンホールディングスは約700億円を投じて参入します。現地ビールの8割のシェアをカバーする国軍系複合企業ミャンマー・エコノミック・ホールディングス・リミテッド(以下MEHL)と合弁会社「ミャンマー・ブルワリー」を設立し順調に経営を進めていた中、2021年2月に事件は起きます。

海外市場参入で企業が改めて向き合うカントリーリスク

—いまキリンの海外事業で何が起きているのか、簡単に教えてください。

Dr.M  現地企業MEHLとの合弁会社「ミャンマー・ブルワリー」の出資比率は、キリンが51%、MEHLが41%です。2021年2月にミャンマー国軍によるクーデターをきっかけに、国軍系複合企業であるMEHLと合弁しているということで、キリンに対する人々の反発が強まり、不買運動や倉庫が爆撃されるという事態に発展しています。
キリン側は合弁を解消したうえで新たな出資先を探す方針を早くから発表していたものの、提携解消には応じず合弁清算を一方的に申し立てるMEHL側と対立、国際裁判を行う準備を進めているという状況です。これらの事態はキリンの決算にも大きな影を落とし、21年4〜6月期に214億円の減損損失を計上、21年通期の純利益の見通しを従来予想の1030億円から865億円に下方修正しました。 
*2022年1月現在の情報

—このケースをピックアップしたということは、今回のテーマは・・


[Dr.M] 国内外のM&Aに精通するM&Aスペシャリスト

Dr.M  そう、M&A等で海外進出する際にふまえておきたい「カントリーリスク」についてお伝えしたいと思います。「カントリーリスク」とは今回の事例のように、特定の国・地域における政治・経済・社会情勢の変化により企業が損失を被るリスクを指します。M&Aは国内の企業同士(IN-IN)のケース、海外の企業を買収する(IN-OUT)のケースがあります。当然の話ながら(IN-OUT)の場合は、国内の時以上に慎重で入念なリサーチが求められます。

カントリーリスクはいわば“地政学”

—カントリーリスクはどのような視点で把握すべきなのでしょうか。

Dr.M  「カントリーリスク」はひとことでいうと「地政学」といえるでしょう。
地政学の「地」、つまり地理的なものは、たとえば最近だとフィリピンが直面している台風、バングラディシュの洪水の問題など地理的な問題が存在します。これらは目に見えるものなので比較的チェックしやすい項目です。気温の上昇による環境の変化によって、最近特に取り沙汰されています
もうひとつは地政学の「政」。政治、と一言でいっても歴史がそこにあります。今の政治に目を向けるだけではなく歴史を紐解かなければならないのです、そこをしっかり認識する。政治といっても人権の問題、軍的な問題、宗教的な問題など、しっかりと考えて調べておくことが重要です。近年は特に人権デューデリジェンスが注目されていますが、広い視点で「地政学的デューデリジェンス」の重要性がいま問われているといえます。

私たちも家を買うとき、すごく調べますよね。売主・仲介するのはどういう不動産会社か、以前に何が建っていた場所だったのか、地形は、歴史は、周辺住民の雰囲気は、教育環境は・・・当然のようにチェックしますよね。
ちなみに、私は現在の自宅を購入するとき「本当にこの土地を買っていいのか」見極めるために、2ヶ月くらい家のまわりを早朝走っていました。個人で家を買う時ですら、それくらい相当な時間をかける必要がある。ましてやそれが企業レベルなら海外市場への参入は、当然ながらそれ以上に慎重に検討を重ねて検討するべきことなのです。
私は様々なM&A事例を長年見てきましたが、今回のキリン社含め、海外市場参入後に苦境に立たされている企業は、こうしたカントリーリスクの把握が十分ではなかった可能性があると考えます。(ちなみに、キリンはブラジルで約3,000億円で現地企業を買収したのちに撤退した過去があります)

—なぜ、そうしたチェックが十分に機能しないことが起こりうるのでしょうか。

Dr.M  まず要因として挙げられるのは、M&Aが限られた期間の中で行われるケースが多いことです。自社だけでなく相手企業ありきのものですから、いつまでに成約しないと破談になる、もしくは競合他社が先に手を組んでしまう可能性がある、という様々な時間の制約、限られた条件の中で取引を進めなければなりません。
経済学で「Cool Head but Warm Heart:冷静な頭脳と温かい心」とよく言われますが、M&Aに限らず企業の運命を左右する大事な局面でいかにCool Headに判断を進められるか、これが非常に重要になります。今回の場合は、限られた条件、期間の中での経営判断にCool Headさが十分でなかったのではないかと推測しています。

キリンの目指すべき姿に、本当にミャンマー進出が必要だったのか

Dr.M  企業の存在意義(パーパス)を明確化し、社会に与える価値を示す「パーパス経営」が注目されていますが「企業の存在意義は何なのか」「10年後、自分たちがどういう企業であるべきか」、大きな枠組みで考えてみる。現状を分析し、そこに向けて現状との乖離を埋めていくのが経営です。M&Aはもとをただせば、その「あるべき企業の姿」の実現を果たすための一手段にほかなりません。

キリンは、社会における永続的、長期的な自社の存在意義をミッションで次のようにあらわしています。

グループ経営理念:ミッション
「キリングループは、自然と人を見つめるものづくりで、「食と健康」の新たなよろこびを広げ、こころ豊かな社会の実現に貢献します」
お客様の求めるものを見すえ、自然のもつ力を最大限に引き出し、それらを確かなかたちとして生み出していくモノづくりの技術。私たちは、こうした技術によって、お客様の期待にお応えする高い品質を追求してきました。これからも、「夢」と「志」をもって新しいよろこびにつながる「食と健康」のスタイルを一歩進んで提案し、世界の人々の健康・楽しさ・快適さに貢献していきます。

出典:キリンホールディングスホームページ
https://www.kirinholdings.com/jp/profile/philosophy/

—今回の合弁会社では、キリンらしさ、というのはどういうところに現れていたのでしょうか。

Dr.M  聞くところによると、ミャンマーの合弁会社が販売しているビールの味は、もともとの現地のビールの味、クオリティだそうです。個人的には「キリンらしさ」が十分活かされてはいなかったのではないかと考えます。
私は普段キリンの「淡麗グリーンラベル」、よく飲んでます。おいしいうえにカロリーが低くて好きです。キリンの「おいしさを追求し実現させる姿勢」、自分たちの強みとする技術、価値をもってよろこびの連鎖を広げていくという「よろこびがつなぐ世界へ」というスローガンに個人的にもすごく共感が持てます。だからこそ、キリンの追求するおいしさ、クオリティ、安全性、そうしたものが、外で活かされないと意味がないと思っています。

真の意味で自社のブランドが現地で活かせるのかどうか、今回の進出はパーパスに立ち返って本当に考えられたものだったのか。
メーカーとしておいしいものを多くの人に届けようという本質的な部分を見失っていたのではないか。投資目線での海外進出だったのではないか。
仕事柄、当社のお客様ではないですが、海外とのM&Aで苦境に立たされている企業をたくさん見てきました。そうした企業に共通するのは、言葉を選ばずに言えば「受け身」であり「行き当たりばったり」だったということ。たまたま「良い案件がある」と外部から持ち込まれた買収案件を、書面上の数字だけで判断し進めてしまう。
そうならないために、自社のあるべき姿の実現に向けて、M&Aがふさわしいのか、組むならどういった企業が理想的なのか、日頃からアンテナを張って想定しておくことが求められます。

—さらに付け加えるなら「Cool Headさを持って判断する」というところでしょうか。


Dr.M  そうですね。今回お伝えしたポイントは企業規模に関わらず、あらゆる企業に当てはまることだと思います。海外への進出を検討されている方はぜひ参考になさってください。

追記

キリンHDは、2022年2月よりミャンマー事業から撤退する方針のもと協議を進めてきたが、早期の合弁解消を図る手段として、MBLによる自己株式取得が最適な手段であると判断。子会社であるKirin Holdings Singapore Pte. Ltd. (シンガポール、KHSPL)が保有するMyanmar Brewery Limited(ミャンマー・ヤンゴン、MBL)の全株式のMBLへの譲渡を決定した。

キリンHD、Myanmar Breweryの全株式譲渡、ミャンマー事業から撤退へ(2022年06月30日)

***
日本M&Aセンターでは、M&Aの明確な戦略方針を定めている企業様はもちろんのこと、M&Aを含めた事業戦略を見直したい方から今後M&Aの活用を徐々に検討していきたい方まで、あらゆるご要望に対する相談役として、多くの企業様の成長をサポートいたします。
詳しくはこちらから

プロフィール

皆己 秀樹

皆己みなみ 秀樹ひでき

日本M&Aセンター M&Aサポート倶楽部責任者 

一橋大学卒業後、大手金融機関及び大手外資系証券会社で法人営業。その後、大手外資系金融機関プライベートバンキング部の日本支社立ち上げプロジェクトに参画。現在は日本M&Aセンターにて、上場企業を中心に M&A戦略からクロージングに至るまで幅広いアドバイスを行う。戦略的M&Aをテーマに、研修・セミナー講師としても活躍。

この記事に関連するタグ

「買収・合弁企業の設立・海外M&A・上場企業・クロスボーダーM&A」に関連するコラム

小さく生んで大きく育てる ベトナムM&A投資の特徴

海外M&A
小さく生んで大きく育てる ベトナムM&A投資の特徴

本記事では、ベトナムでのM&Aの特徴と代表的な課題について解説します。(本記事は2022年に公開した内容を再構成しています。)比較的に小粒である、ベトナムM&A案件ベトナムのM&A市場は、ここ数年は年間平均300件程度で推移、Out-Inが全体投資額の約6~7割を占め、その中で日本からの投資件数はトップクラスです(2018年:22件、2019年:33件、2020年:23件)。興味深いことに、1件当

インドネシアM&AにおけるPMIのポイント

海外M&A
インドネシアM&AにおけるPMIのポイント

本記事では、クロスボーダーM&Aで最も重要であるPMIについて、インドネシアの場合を用いてお話しします。(本記事は、2022年に公開した記事を再構成しています)M&Aのゴールは“成約”ではありません。投資側の日本企業と投資を受ける海外の現地企業両社が、思い描く成長を共に実現できた時がM&Aのゴールです。特にインドネシア企業とのM&Aは、他のASEAN諸国と比較しても難易度は高く、成約に至ってもそれ

海外M&Aとは?目的やメリット・デメリット、日本企業による事例まで解説

海外M&A
海外M&Aとは?目的やメリット・デメリット、日本企業による事例まで解説

近年アジアなど成長著しい市場をターゲットに、海外M&Aを検討する中堅・中小企業は増えております。しかし、海外M&Aでは日本国内で実施するM&A以上にノウハウが不足していることが多く、海外M&Aを実施するハードルが高いと言わざるを得ません。そこで本記事では、日本M&Aセンター海外事業部の今までの経験を踏まえて、海外M&Aの内容や実施される目的、またメリットや注意点・リスクなどさまざまなポイントについ

タイでM&Aを検討する際に留意すること

海外M&A
タイでM&Aを検討する際に留意すること

本記事ではタイでのM&Aにおいてよく問題となる、タイ特有の留意点について解説します。(本記事は2023年2月に公開した内容を再構成しています。)※日本M&Aセンターホールディングスは、2021年にASEAN5番目の拠点としてタイ駐在員事務所を開設、2024年1月に現地法人「NihonM&ACenter(Thailand)Co.,LTD」を設立し、営業を開始いたしました。タイ王国中小企業M&Aマーケ

ベトナムM&Aの競争環境 引くてあまたの現地優良企業を獲得するには

海外M&A
ベトナムM&Aの競争環境 引くてあまたの現地優良企業を獲得するには

Xinchào(シンチャオ:こんにちは)!本記事では、ベトナムでのM&A投資における問題のひとつ、「厳しい競争環境」に関してお話させて頂きます。(本記事は、2022年11月に公開した記事を再構成しています。)独占交渉権とは「独占交渉権」とは、買手である譲受企業と売手である譲渡企業との間で、一定の間に独占的に交渉することができる権利の事です。一般的に買収ターゲット企業の選定後に、初期的な面談(対面/

海外M&Aにおける買収監査/DDチームの選び方

海外M&A
海外M&Aにおける買収監査/DDチームの選び方

本記事ではM&Aにおける終盤ステージである買収監査(デューデリジェンス)における留意点について解説したいと思います。ASEAN・中小M&Aにおける買収監査(デューデリジェンス)M&Aのプロセスでは基本合意契約を締結した後、最終契約に至る準備段階として買収監査が行われます。内容や期間はディールの規模や複雑性によって様々ですが、一般的に財務・税務・法務について専門チームに依頼します。また、場合によって

「買収・合弁企業の設立・海外M&A・上場企業・クロスボーダーM&A」に関連する学ぶコンテンツ

地域別にみる中小企業のM&A動向

地域別にみる中小企業のM&A動向

国内の421万企業のうち99.7%を占める中小企業。地域資源の活用、歴史的背景、立地特性など地域ごとにその特徴も様々です。本記事では、地域別に中小企業のM&A動向について迫ります。全国でM&A件数の圧倒的No.1は?中小企業M&Aの件数は経済活動の規模に比例します。下記の図1は当社におけるM&Aの実績と、「県別の経済活動の規模」を比較したものです。東京を例にとると、グラフ左端が東京の企業が譲渡もし

譲渡企業(買収先)の探し方。ロングリスト、ショートリストとは

譲渡企業(買収先)の探し方。ロングリスト、ショートリストとは

M&A仲介会社などパートナーを選定したら、次は買収先、つまり譲渡企業(売り手)を探すステップに移ります。お相手探しは主に2つの方法で行われます。それぞれについて詳しく見てまいりましょう。買収をご検討の方は、希望条件(地域、業種など)を登録することで、条件に合致した譲渡案件のご提案や新着案件情報を受け取ることができます。まずは登録から始めてみませんか?買収希望条件の登録(無料)はこちら譲渡企業の探し

譲受け企業(買い手)がM&Aで押さえておきたいポイントとは?

譲受け企業(買い手)がM&Aで押さえておきたいポイントとは?

一言でM&Aといっても、買収戦略を実行していく譲受企業(買い手)側には様々な目的があります。M&Aの成功に向けて、押さえておきたいポイントを確認していきましょう。【登録無料】買収をご検討の方は、希望条件(地域、業種など)を登録することで、条件に合致した譲渡案件のご提案や新着案件情報を受け取ることができます。まずは登録から始めてみませんか?買収希望条件の登録はこちらM&A実行の目的・メリット一般的に

「買収・合弁企業の設立・海外M&A・上場企業・クロスボーダーM&A」に関連するM&Aニュース

KADOKAWA、韓国総合エンターテインメント企業BY4M STUDIOKADOKAWAと合弁会社を設立へ

株式会社KADOKAWA(9468)は、3月5日、韓国における総合エンターテインメント企業であるBY4MSTUDIO(韓国・ソウル、以下BY4M)との間で、文芸・ライトノベル・コミックなど日本のコンテンツを翻訳出版する合弁会社発足のため、BY4Mの出版事業部門を分割して新会社を設立し、KADOKAWAが有償増資により当該会社株式の55%を取得することに合意した。KADOKAWAグループは、多彩なポ

ニッコンホールディングス、米国自動車完成車輸送サービスのSATを子会社化

ニッコンホールディングス株式会社(9072)は2024年4月16日、米国の自動車陸送企業であるSupremeAutoTransport,Inc.(米国コロラド州、以下「SAT」)の全持分の内、75%を取得することについて既存出資者との間で合意に至った。本件取得に伴い、SATはニッコンホールディングス連結子会社となる。ニッコンホールディングスは、梱包・運輸事業を基盤に、倉庫事業、車両部品のテスト事業

電源開発、豪州のGenex Power Limited社を買収へ

電源開発株式会社(9513)は、2024年4月12日、電源開発グループのGenexPowerLimited社(オーストラリアシドニー、以下「Genex」)の発行済み株式の100%を取得し、Genexを子会社化するための手続きを開始することを決定した。本件株式取得にあたっては、豪州上場会社の株式を100%取得する方法の一つである豪州会社法に基づくSchemeofArrangement(以下、「SOA

M&Aで失敗したくないなら、まずは日本M&Aセンターへ無料相談

コラム内検索

人気コラム

注目のタグ

最新のM&Aニュース