
[M&A事例]Vol.118 後継者への株式の贈与問題をM&Aで解決。移住先で充実のセカンドライフを満喫
プラスチック製品の製造を手掛けるケー・アイ・ピーは、外部から社長を招聘し事業承継を行いましたが、株式贈与と将来的な成長戦略の課題にぶつかります。その後M&Aによる譲渡を行い、現在は新天地でセカンドライフを送る創業者に話を伺いました。
譲渡企業情報
譲受企業情報
※M&A実行当時の情報
2013年12月、日本M&Aセンターがお手伝いしM&Aを実行された両社の代表 北川様(株式会社シンセー)と、難波様(オーエム産業株式会社)をお迎えし、M&Aを決意された理由や当時の心境など伺いました。
北川様: シンセーは、1951年に創業し、石川県白山市でめっき業を営んでおります。北陸地域を中心に、工作機械、繊維機械、建設機械などの小物、プレス品、大型ロール等各種部品の表面処理を手掛け、硬質クロムメッキ、黒染め等を得意としております。取引先からは、多品種小ロットの注文にも対応できる体制を評価していただき、毎期安定した収益を計上していました。
事業承継については、60歳を過ぎたあたりから考え始めました。できるなら社長をずっと続けたいと思っていましたが、そういうわけにもいきません。しかし子供は、長男が医者、次男が大手企業で研究者をしていて、長女は結婚し、三男はまだ学生でしたから、会社を継ぐ意思がありませんでした。社員への承継も検討しましたが、経営者になるような人材は育っていませんでした。
税理士から廃業を薦められていたところ、メインバンクである北國銀行さんから『M&Aで後継者問題を解決しませんか?』と提案を受け、日本M&Aセンターを紹介してもらいました。良い相手が見つかるかとても不安でしたが、19人の社員や取引先のことを考えると易々と廃業を選択するわけにはいきません。まずは1年間相手探しをしてみようと、日本M&Aセンターへ依頼をしました。日本M&Aセンターについて、それまでは詳しく知らなかったのですが、テレビ番組「カンブリア宮殿」で特集されているのを見て、ちゃんとした会社だということがわかり、安心して進めることができました。
難波様: オーエム産業は、岡山県岡山市にて1943年に創業しました。私は3代目の社長で、電子部品や自動車部品向けの量産めっき加工を主力事業として展開しています。2008年には栃木県に新工場を竣工、2013年には表面処理研究所を設置し、さらなる事業拡大、技術の向上を目指しています。
日本M&Aセンターからシンセーさんのお話をいただき、同業ではあるものの、量産品中心の当社とは異なり多品種小ロットにも対応可能な体制を持っていることや、北陸エリアの顧客基盤拡大につなげられることから、譲受けを検討することにしました。また、シンセーさんは「硬質クロムめっき加工」を得意としており、当社では電子部品向けのめっき需要拡大に対応すべく工場建て替えをした際、創業以来おこなっていた硬質クロムめっきをやめた経緯がありましたので、本件をきっかけに再開することができれば、取扱い分野を拡げることで安定した受注の確保にもつながります。めっき業は土壌汚染が懸念されることから、シンセーさんの工場を見学させていただき調査を実施しましたが、特に問題はありませんでした。むしろ、周囲の工場がシンセーさんを必要としていることがよくわかり、やはり地場で小物めっきを手がける企業の存在は大きいと感じ、M&Aを進めていくこととなりました。
オーエム産業様のめっき加工設備の一例
北川様: トップ面談で難波社長にお会いして、共通点も多く、話していて波長が合うと感じました。また、栃木にも工場を持っているということで、遠隔地の管理もできる会社だと思いました。実は、オーエム産業さんに出会う前にも同業の会社とトップ面談を行ったのですが、経営に対する考え方が違うと感じ、見送らせていただきました。日本M&Aセンターは約100社もの候補先を提示してくれ、追加の候補先も随時出してくれていましたが、予定していた約1年が経過し、再び廃業が頭をよぎった時期もありました。だからこそ、オーエム産業さんとの出会いは“ラストチャンス”だと思いました。
北川様: 最終契約書に調印した3日後、社員発表の日に、難波社長は『私の方がよろしくお願いします』『今までと変わらないそのままのシンセー様を引き継がせていただきたい。変えたらダメです』とおっしゃってくれました。社員からの反対や混乱はなく、むしろ安心してもらうことができました。大企業の傘下になったことで、人事評価制度や人材採用の方法も改善し、良かったと思います。私は、後継者問題解決のためにM&Aを決断しましたが、オーエム産業さんは、単に会社を引継いでくれただけでなく、会社が成長するきっかけを作ってくれました。これには本当に感謝しています。
取引先への挨拶回りでは、「シンセーさんがなくなるとウチが困る。廃業しないで良かった」と、肯定的な意見がほとんどでした。あらためて、地域の皆さんに必要とされていたことが身にしみて、「廃業しなくてよかった」と心の底から思いました。
長年一緒に頑張ってくれた妻は、経理や総務関係の業務の引継ぎを完了し、現在は生まれたばかりの孫の世話を楽しんでいます。私自身は引き続き勤務を続けています。引退後は、これまでできなかったゴルフや長期旅行などを楽しめればと思っています。
シンセー様の工場
難波様: 株式譲渡後、北川様にはシンセーの会長に就任していただきました。権限の引き継ぎは半年で完了しましたが、当社からお願いして、引き続きめっき技術を社内に伝承してもらっています。また、シンセーの工場については、今年の8月に機械の入れ替え等を行い、設備を整えました。住宅地の中にある当社と違って、工業団地にあるシンセーではのびのびと仕事ができるので、良い環境だと思います。 今後は、地域に根差したシンセーとの相乗効果を発揮し、足場がなかった北陸での販路を拡大し、さらなる成長を目指したいと思います。
M&A成功インタビューは、
日本M&Aセンター広報誌「M&A vol.38」にも掲載されています。
プラスチック製品の製造を手掛けるケー・アイ・ピーは、外部から社長を招聘し事業承継を行いましたが、株式贈与と将来的な成長戦略の課題にぶつかります。その後M&Aによる譲渡を行い、現在は新天地でセカンドライフを送る創業者に話を伺いました。
コロナ禍で業界全体に停滞感が広がるなか「新規顧客獲得を実現するには、加工技術の多角化を図るしかない」と企業の譲受けを検討していたハリガイ工業。最終的に選んだお相手は、同じ製造業で異なる技術と事業をもつ企業でした。
2022年2月に初めてのM&Aを実行した株式会社イノベックス。同社は、M&A成約前から譲渡企業側の経理体制の早期整備を意識し、成約から1年超にわたって日本PMIコンサルティングがサポートしました。同社 執行役員 経営企画室管掌 野田 芳明様と、親会社のウェーブロックホールディングス株式会社 経理財務部担当部長 兼 同部 経理課長 牧山 竜一様に、経理体制構築におけるPMI(M&A後の統合プロセス)を進めるうえで特に重視したポイントや、コンサルティングを受けた効果について伺いました。
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めっき業は土壌汚染等の環境問題がつきまとう業種であり、本件も税理士からはM&Aの可能性は低く廃業をすすめられる中でのご相談でした。そのような状況で、企業と従業員の雇用を守るためM&Aの可能性に賭けご決断頂いた北川会長、また、その可能性を導いてくれたメインバンクの北國銀行様へ感謝申し上げます。
オーエム産業様にとっては本社のある岡山、工場のある栃木に続き、営業基盤の弱い北陸エリアへの進出、更にめっきの取扱メニューが増えるというシナジーが描け、シンセー様にとっても後継者問題が解決できる良縁になったと思います。難波社長は、M&A後も相手企業の従業員や取引先への配慮を優先する素晴らしい経営者です。両社の今後益々のご発展を祈念しております。
<北國銀行(シンセー様のメインバンク・情報開発行)ご担当者様より>
北國銀行支店担当として、シンセー様の事業承継ニーズを汲み取り、本部と情報を共有。北川会長から「同業種でのM&Aが理想。北陸三県では提携先が限定されるため、全国規模で後継社を探したい」とのご意向を伺い、全国にネットワークを持つ日本M&Aセンター様を紹介させて頂きました。オーエム産業様とのご縁が実り、当行としましても大変うれしく思っております。北川会長、ご家族、従業員の皆様においても最良の選択であったと確信しております。日本M&Aセンター柄目様はじめご協力いただいた皆様に改めて感謝申し上げます。
北國銀行本部 営業統括部 営業サポート課
課長代理 岩木 貴広 様
北國銀行 金沢中央支店 (現 魚津支店)
高前田 彰吾 様