創業者の想いを受け継ぐ 納得のM&Aを目指して −100%株主に挑んだ舞台裏に迫る/M&A事例紹介 株式会社朝日出版社 取締役社長 小川 洋一郎さん
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創業社長の突然の死。遺族の株式売却。ホワイトナイト※の登場。取締役の復帰―。2024年からの2年間、波乱を味わい、2回のM&Aを経験した朝日出版社。混乱は報道でも話題になりました。最初のM&A後に役員を解任されながらも、会社を取り戻そうと奮闘した小川洋一郎社長と振り返ります。
※ホワイトナイト:買収防衛策のひとつであり、敵対的買収を仕掛けられた会社が自社と友好的な関係にある会社(ホワイトナイト)に、買収もしくは合併してもらうことを指す。
※本記事は、2025年9月末発行の日本M&Aセンター広報誌「MAVITA」VOL.6からの転載です。
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株式会社 朝日出版社(東京都千代田区)
1962年創業。独語、仏語など大学向け語学教材を得意とするとともに文芸・ビジネス書など一般書も出版。モットーは「時代の一歩先を行くおもしろさで読者の〈知〉をさわがせる本づくり」。1991年には宮沢りえさんの写真集『Santa Fe』で日本中の話題もさらった。

創業社長が急逝し、妻と娘が株主になった途端に
2025年2月17日。2回目のM&Aで新たに朝日出版社の株主となったNOVAホールディングス代表・稲吉正樹氏は70人の従業員を前に言いました。「1年間は給与も待遇も変えません。ぜひ良い本を作って欲しい」
すぐ隣で聞いていた朝日出版社社長・小川洋一郎氏は「奮い立ったし、安堵感もあった」と明かします。
「直近2年は果たして会社がどうなってしまうのだろうと悩まされましたから」
朝日出版社は1962年創業の中堅出版社です。創業社長は原雅久氏。岡山から上京してゼロから起業した苦労人でワンマン社長でした。
「甥の私は1995年に大学を出て朝日出版社に。英語教材の企画と営業をしていました。2022年に社長となりましたが…」
小川氏の不安は会長の手元に残さ れたままだった株式にありました。たまに原氏に話を向けるも、不機嫌に「分かっている」のみでした。
「事業価値はもちろん、西神田の自社ビルの資産価値が上がっていた不安が私にはあった。ただ、創業者にとって我が子のような会社の未来を人に指図されるのが嫌だったのだと思います。それでも話を進めれば良かった」
悔いの言葉を残すのはその後、状況が一変したからです。2023年4月に原氏が逝去。遺書もなかったため株式は妻と長女に相続されました。出版事業に携わったことのない遺族が 100%株主に。「変わらぬ本づくりが可能か?」と不安を感じた小川氏の下に2024年春、とあるM&Aアドバイザリー会社から「株主様の意向です。M&Aのデューデリジェンス(DD)に協力を」と連絡が。

社長を解任されたあとも抵抗し続けた本当の理由
「そこから一気に進みました」
買収希望価格は4億6600万円。取引銀行から「10億円は下らない」と聞いていたため、小川氏は「安すぎる」と感じました。「何より気がかりだったのが…」その合同会社は出版事業はほぼ手掛けていない商社だったこと。 「欲しいのは自社ビルの土地」で「出版事業を引き継ぎ、伸ばす意思もない」としか思えなかったといいます。
そこで別の買い手探しに取締役皆で奔走。ある印刷会社から「7億円でどうか」と意向をとりつけました。
「ただ遺族に提案しても覆らなかった。その額をアドバイザリー会社に伝えたことで、8・5億円まで取引額が上がっていたようで」
そして2024年8月には株式譲渡契約が締結されていました。
旧株主は小川氏を含む取締役全員を解任。しかし、新経営陣が送り込まれても、小川氏は断固として拒否し出社を続けました。
「なぜそこまで抵抗したか?祖業を続けたかったからというほかありません。朝日出版社の本づくりの血をここで絶やすわけにはいかなかった」
しかし危機が訪れます。当時、相談していた弁護士が「100%株主に裁判で勝つのは難しい」と去ったのです。「今度こそ手詰まりか」と頭を抱えた頃、手を差し伸べてくれたのが弁護士の河合弘之氏でした。スルガ銀行不正融資事件、東電原発稼働差し止めなどを担当。逆転勝利を重ねてきた“逆襲弁護士”の異名を持つ、巨人です。
ダメ元でお願いすると「わかった」と快諾をもらえました。
河合氏を後押ししたのはやはり本。自社紹介のため数冊持参した中に『それでも日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子著)がありました。本書を手に言われたそうです。
「『潰してはならない会社だ』と」 逆襲のはじまりでした。

時間を稼ぎながらのホワイトナイト探し
まず労働組合が「売却反対」との横断幕を自社に掲げ、メディアプラットフォーム「note」でM&Aの疑問点を発信し始めました。
「世論を巻き込みつつ時間稼ぎするのが先生の戦略でした。一方で『出版事業を尊重して譲り受けてくれるホワイトナイトを探さなければ、根本的な解決にはならない』と日本M&A センターに声がけをしてくれました」
河合氏からの連絡を受けてすぐに日本M&AセンターのM&Aコンサルタ ントが対応に動きました。遺族の弁護士、合同会社側の弁護士に何度も出向き「ホワイトナイトを探している」「どんな条件であれば再譲渡するか」と折衝。同時に数社に声をかけ、M&Aを打診しました。そして手をあげたのがNOVAホールディングスでした。
「ただ最初は『あのNOVA?』と声をあげてしまいました」
CMで知られた英会話のNOVAは 過去、特定商取法違反で摘発され経 営破綻。世間を騒がす事件があった からです。しかし稲吉氏はまさに、その傾いた企業をM&Aで復活させた張本人でした。
「あの実績があるなら完璧だと」
加えて大きかったのは「語学に強い本づくりのノウハウと、全国展開する語学学校とのシナジー」が明らかだったからでした。
その後はM&Aコンサルタントが NOVAホールディングス側の意向表明を合同会社側に粘り強く交渉。何度か抵抗措置もとられましたが、根負けした合同会社側の承諾を得て、逆襲が終わります。
2025年2月17日。冒頭の稲吉氏の言葉がリスタートののろしでし た。そして今、シナジーがもう形に。
「『CNN ENGLISH EXP RESS』という月刊誌があるのですが、NOVA・Gaba受講生向けの定期購読プランを設置。1カ月で100人超の申込がありました。今後はサブスク・プランで共創できそう…」
目を輝かせ未来を語る姿が印象的でした。最後にこんな言葉も。
「“会社は人だ”と今回強く感じました。私自身多くの従業員とその家族の方々がいたからこそがんばれましたからね。その意味で経営者は従業員と、承継する側は経営者と日々コミュ ニケーションを絶やさぬことが肝要。 事業承継やM&Aのトラブルはコミュ ニケーション不足が根にあるのかなと」

新経営陣と労働組合執行委員長による記者会見。中央は代理人の河合弘之弁護士

本づくりに情熱を持つ従業員の存在が原動力になった
写真:富本 真之 文:箱田 高樹



