
[M&A事例]Vol.96 地域に愛される老舗洋菓子店。 労働環境を改善させて新商品開発に力を注ぐ
「プラチノ」は30年以上地域に愛されてきた老舗洋菓子店。60歳を目前に後継者不在に直面した田勢克也社長は、事業承継とさらなる成長のために譲渡を決意しました。50代から検討したことで時間をかけて納得のお相手と出会う事ができたとM&Aを振り返ります。
譲渡企業情報
名古屋発の「覚王山フルーツ大福 弁才天」。瑞々しい果実の味を引き立てる甘さを抑えた白餡と求肥の絶妙な味わい、糸で切ったときの断面の美しさがSNSで話題となり、令和元年10月の創業以来、全国に店舗数を伸ばしてきました。ところが、創業者の大野淳平さんは、法人設立1期目でまだ店舗数が10店舗未満のときからM&Aを検討し始めたといいます。そして設立2年目、店舗数を50店舗近くまで増やすなか、会社のさらなる発展を考えてM&Aを実施しました。
市場から直送される季節のフルーツを、素材の味を生かした甘さ控え目の白餡と上品な求肥で手包みしている
——創業2年目でM&Aでの株式譲渡を考えられたわけですが、それはどうしてですか?
譲渡企業 株式会社弁才天 大野様: 会社を始めた以上は、やがては次の3つの内のどれかに帰結していきます。まずは事業承継、次はIPO(新規株式公開)、そしてM&Aです。 僕には子どもに会社を継がせるという選択肢はありません。IPOも社会不適合者の僕には向いていないし、上場は手段であってゴールではないだろうと思っています。それに、上場を目指すには、法務、税務、労務などにおいて確固たる企業ガバナンスを作り上げる必要があります。僕にはその能力はないし、社内にそれができるプロもいない。そうなると残る選択肢はM&Aしかなかったわけです。後は、そのタイミングはいつということですが、それがたまたま創業から1年半だったということです。
——なぜ2年目だったのですか?
大野様: 理由はいくつかあるんですが、大きな理由は独力で組織づくりをしていく限界を感じたことです。僕は多店舗展開をしようと思って弁才天を始めたんじゃないんです。かっこいいこと、面白いこと、みんなをアッと驚かせることをやりたいと思っていて、大人の手土産にふさわしい、季節の旬のフルーツが主役の糸で切って断面を楽しむフルーツ大福屋さんを作ったらみんな喜ぶだろうなと考えたわけです。そして、名古屋の覚王山(かくおうざん)に本店を出したのです。
<M&A スケジュール>
——大きな評判になりましたね。次々に店舗が増えていきました。
大野様: はい。暖簾分けで店を出したいという申し出が相次ぎました。お一人ずつ面談を重ねて、僕の個人のインスタグラムに書いている経営理念や人生観に共感していただける方と一緒に歩みを進めることになりました。新店舗を出すときも、僕は自分で現地に行ってそこで感じる空気感を大事にしながら一軒一軒、その場所にふさわしい店にしようと自分で店舗デザインのコンセプトを考えているんです。だから弁才天の店は内外装にしても、一つとして同じものはありません。
——決まった外装や内装にせずに、ですか?
大野様:
はい。弁才天はいわば僕の中では商品じゃなくて“作品”です。トレンドではなくカルチャーとしてずっと根づいていくものにしたいと考えているんです。ですから店舗展開も本部を頂点にした垂直統合型のフランチャイズではなく、「暖簾分け」と呼んでおり、想いに共感してくださる人たちと一緒にやっていく水平分業型の広がりをつくってきました。
しかし、これから先も店舗が増えていくと考えると、一人ではそれをまとめていけないだろうと思いました。また、これまで以上に管理業務に忙殺されるようになると、自分の感性や創造性が失われていくのではないかという懸念もありました。それが理由です。
——株はすべて譲渡されなかったのですね。
大野様: 半分近くはまだ持っています。海外展開も含めて、今後も自分で弁才天の可能性を広げたいと思っているのです。しかし一方で、僕には自由気ままな野良猫みたいな性分があって、弁才天とは別の何かドキドキすることが見つかれば、それをやるという選択肢も持っていたい。そんな自由さを担保するためにも、ここで一度、半分は利確しておこうとも思ったのです。
——譲渡先にファンドを選ばれたのはなぜですか?
大野様: 譲渡先が大きな事業会社になると、その会社のやり方やカラーに合わせなければならなくなるかもしれないと思ったからです。それでは「弁才天らしさ」を失ってしまいます。だから、株の譲渡先は事業会社ではなくファンドと最初から決めていました。
——その中で株式会社ファーストアドバイザーズを選ばれた理由は何だったのでしょう。
大野様:
ファンドの人たちは、高学歴で、ロジカルに物事を考えていく問題解決能力に優れた人たちです。僕は切り口を変えて問題提起することが得意です。ですから、この2つが合わされば相乗効果が発揮できると考えていたんです。
ファーストアドバイザーズは問題解決能力の高さは当然ですが、非常に弁才天に興味を持ってくれました。ここなら「弁才天らしさ」を尊重しつつ、経営を手助けしてくれるに違いない、そう思いました。
東京・銀座店の店内。大野社長自ら現地に行き店ごとに内外装を決めている
——店舗数は70を越えたと聞いています。
大野様: そうなんです。M&Aをしたときは40数店だったのですが、1年で77店舗になりました。思った通り、彼らのチームが入ってきてくれたことによって、労務や法務などの会社の体制も固まってきました。そのおかげで、物事を考えたり、人に会ったりする時間を作ることができるようになりました。先ほども言ったように、いまはフルーツ大福を海外に広げていきたいと考えています。目指すのは、まずパリです。 現状、和菓子は世界中で食べられてるわけではありませんが、フルーツはどこの国の人たちも食べています。フルーツ大福を突破口にして、和菓子という日本文化が世界で受け入れられるようになっていくかもしれません。そんな夢を互いに共有できるのも、ファーストアドバイザーズだからこそ、と言えるかもしれませんね。
——最後にM&Aを検討されている企業へアドバイスをいただけますか?
大野様: 僕はM&Aをして本当によかったと思っています。M&Aをしたからこそ、いまはこんなに穏やかでいられるし、次のことだけを考えていられると感謝しています。 自分の経験からM&Aを考えている方たちに一つ言えるとするなら、「バスに乗り遅れるな」ということですね。譲渡価額にこだわってタイミングを逃した例もあるようですから、タイミングはとても大事だと思います。
「プラチノ」は30年以上地域に愛されてきた老舗洋菓子店。60歳を目前に後継者不在に直面した田勢克也社長は、事業承継とさらなる成長のために譲渡を決意しました。50代から検討したことで時間をかけて納得のお相手と出会う事ができたとM&Aを振り返ります。
社長を入れて従業員は6人という小さな会社ながらも、顧客視点に立ち、よりよい住宅を適正価格で提供することに徹し、地域に信頼を築いてきたM・G建装。創業者である松本昭文社長が、コープさっぽろとのM&Aを決意した、その思いといま————。
大阪の青果仲卸業の大手「泉州屋」は、約1,600㎞離れた沖縄県今帰仁村の「あけのフルーツ」をグループに迎えました。遠く離れたエリアから1次産業の会社を迎え入れるのは初めてのこと。同社の描く戦略、今回のM&Aの目的に迫ります。
まずは無料で
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「自分でもできる?」「従業員にどう言えば?」 そんな不安があるのは当たり前です。お気軽にご相談ください。
業種特化事業部 業界再編部 食品業界専門グループ 高橋 空
(株式会社弁才天様担当)
大野様とお会いしたときは、創業1年未満で10店舗未満と、まさに急成長しているときにご相談をいただきました。急成長している一方で、日々対応業務が増えることにより、大野様の強みであるクリエイションや感性が犠牲になりつつあり、早急に内部体制を強化することに対して課題感を持たれていました。創業1年未満からM&Aの準備をするという、極めて早いタイミングでのご決断により、綿密な準備をしたうえでお相手探しをできたことが本件の最大の成功要因かと思います。これからの日本のカルチャーとして「弁才天」が根付いていくことを楽しみにしています。