[M&A事例]自分がリタイアした後、50年存続できる体制を「今」作らないといけない

株式会社オオタ 前代表取締役 太田 祐一 様

譲渡企業情報

  • 社名:
    株式会社オオタ(熊本県)(1967年創業)
  • 事業内容:
    左官工事業、タイル工事業
  • 従業員数:
    33名

※M&A実行当時の情報

2019年2月M&Aを実行された株式会社オオタ 前代表取締役 太田 祐一様に、M&Aを決意された経緯や心境、現在のご様子について日本M&Aセンター益田がお伺いしました。

太田様: 高校卒業後、北九州の学校に通い、熊本に戻り父が創業した有限会社太田工業(現在の株式会社オオタ)に入社したのが、1980年でした。ごく自然に、父は長男の私に「いずれ会社を継いでほしい」と口にしていました。父は職人として技術があり、会社を引っ張るタイプでした。私も左官を学びましたが職人ではなく、現場で社員に見せて伝えることができませんでした。人数が少ない会社であれば自分自身にも技術が必要だと感じる場面もありました。

本社の階段の踊り場は父・現会長の作品

本社の階段の踊り場は父・現会長の作品

1998年に現在のオオタの柱とも言える人材の教育・育成に主眼を置いた職業訓練校として熊本県の認定を受けられています。これは太田社長が導入されたそうですね。

太田様: 創業者である父は、とにかく職人を大事にしていました。景気の悪いときには、自分の報酬を下げても従業員に給与を払っていました。
折しもバブルの崩壊後の厳しい時期で企業が人の採用をストップしていた時期でした。この時期にも新しい人材を採り教育していかなければ、いずれ職人がいなくなってしまうとの危機感から「オオタ左官訓練センター」を立ち上げました。
毎年5、6名程度の新人を採用していましたが、この不況に何でそんなに人を採るんだと笑われていました。しかし、今振り返ると厳しい時期だからこそ良い人材がくるとはよく言ったもので、当時入社したメンバーが今では40歳前後になり現場の主力としてみんなをまとめて活躍してくれています。当時の判断は間違っていなかったなと思います。

指定文化財清田邸の復旧工事も担った・熊本県庁前に展示されている熊本城のミニチュアはオオタが寄贈したもの・ポスターやWebサイトは自社で制作されている

(左)指定文化財清田邸の復旧工事も担った
(右上)熊本県庁前に展示されている熊本城のミニチュアはオオタが寄贈したもの
(右下)ポスターやWebサイトは自社で制作されている

太田社長はその後、いったん会社を退職されるんですね。

太田様: ちょうど世間はパソコンブームの幕開けでした。私自身もWindows95やLotusを使って、給与ソフトを自分で作ったりして、パソコンに興味を持ちました。
そんな時、東京のゼネコンで勤務していた2歳下の弟が重い腰痛を患い、熊本に戻って会社を手伝うことになりました。
3年間一緒に仕事をしました。弟は一級建築士でして、父の背中を見てきた自分としては資格を持った職人気質の弟が会社を継ぐほうが良いと感じるようになりました。2006年、会社を弟に託して私は退職し、個人事業主としてパソコン教室を始めました。

株式会社オオタ 前代表取締役 太田 祐一 様

株式会社オオタ 前代表取締役 太田 祐一 様

会社をいったん離れられますが、転機が訪れ、今度は会社の代表として招かれることになりました。

太田様: 社長をしていた弟にがんが見つかりました。見つけにくかったこともあり、転移していて治療の施しようがありませんでした。まだ50歳代前半でしたから進行も早く、発見してから2年後には亡くなりました。会社を放っておけませんので、私は会社に戻り3代目として経営のバトンを受け取りました。

景気が冷え込んだ時を乗り越えるにはどうしたらいいか

太田様: 経営をしていくにあたり、母が昔学生の下宿の世話役をしていて、定期収入があったため厳しい時期も乗り越えたことを思い出しました。左官工事の単一事業ではなく、小さくてもいくつか事業を展開していこうと決めました。
そのうちのひとつに、人手不足が深刻な病院業界に日本語のできる中国人を送り込む事業を親族が運営しており、趣旨に賛同し参画しました。これは国家資格である正看護士を育成しようと約8年前からスタートした事業ですが、「人材を育成して一人前にする」という意味ではオオタでの職人を育てることと一緒でした。社会性のある仕事なのでこれは今後も個人として続けていく方針です。

事務所に掲げられている社訓

事務所に掲げられている社訓

そんな中、事業承継を検討されることになるわけですが、どのようなきっかけがあったのでしょうか。

太田様: 弟には2人の子供がいました。2人とも関東で仕事をしていますので、会社にはほとんど関係がありません。
社内に継がせたいと思う有望な人材がいましたが、30歳前半でまだ若い。あと10年、少なくとも5年でいろんなことを経験してからでないと難しいと考えていました。また従業員として有能であっても、経営者は考え方の基本的なところが違うので、必ずしも経営者になれるとは限りません。
ある日、熊本日日新聞で日本M&Aセンター主催の「M&Aセミナー」という文字を目にして、何気なく参加することにしました。
セミナーを聞いてみると、必要性を強く感じました。終わったあとのアンケートに詳しく現状を書いたところ、担当の益田さんが訪ねてくれ、詳しい話を聞いたうえで、お願いすることにしました。

日本M&Aセンター 金融法人部 益田 直樹

日本M&Aセンター 金融法人部 益田 直樹

後継者不在だけでなく経営戦略を持って傘下にはいりました

お相手探しで重視したことは何だったのでしょうか。

太田様: 後継者不在を解決するためだけのM&Aであれば、しないほうが良いと考えました。一緒になったときに自社の事業がより安定するようになるお相手を探すように依頼しました。
職人が減っているのは、景気が落ち込んだ時に会社が職人を手放し、職人たちは他の仕事を始めて、もう戻ってこないからです。これを何回も繰り返せば職人は減ります。私は不景気のときに仕事がなくならないようにするにはどうしたらいいかをずっと考えていました。その答えを、お相手となるシアーズホームは持っていました。
シアーズホームグループは、年間約700戸の戸建て住宅を受注・供給している地場の大手企業です。左官工事の安定した受注もある。当社の職人を教育・育成するノウハウを活かして、ますます職人を増やしても大丈夫な体制をつくれると考えました。

成約式での様子 左:株式会社シアーズホーム 代表取締役 社長 丸本様

成約式での様子
左:株式会社シアーズホーム 代表取締役 社長 丸本様

また、経営方針の一致も大切です。会社の従業員が30人の場合、家族もあわせると100人くらいの人生を経営者は預かっているわけなので、当社は従業員を第一に考えて経営しています。そういった基本的な考え方が同じであることも希望しました。経営者になるには人の気持ちがわかる人でないと難しいと思いますが、シアーズホームの丸本社長はまさにそんな人でしたから安心してM&Aを決断することができました。

太田様からのアドバイス

自社の「経営戦略」を考える

売却して自分の責任を軽くしたいというだけでは会社は呑み込まれてしまいます。会社をどうしたいのかを考え、経営戦略にマッチしたお相手でなければM&Aはしないほうがいいです。

基本的な考え方が同じお相手と

経営に対する考え方は同じが望ましいです。2人で話をする時間も持ちましょう。M&Aはお相手次第、誰と組むかによって大きく変わります。

広報誌「next」 vol.13
next vol.13

M&A成功インタビューは、
日本M&Aセンター広報誌「next vol.13」にも掲載されています。

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M&A実行年月
2019年2月

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